日本の小泉純一郎首相は22日、靖國(guó)神社參拝問(wèn)題について、中國(guó)と韓國(guó)の圧力に屈する必要はないとの考えを示した。小泉首相の態(tài)度の表明は明らかに、このほど韓國(guó)の盧武鉉大統(tǒng)領(lǐng)と行った會(huì)談に対するものだ。2時(shí)間の會(huì)談は、歴史問(wèn)題に対する激しい論爭(zhēng)になったという。結(jié)果からわかるように、雙方が共通認(rèn)識(shí)に達(dá)しなかった原因は、小泉首相が靖國(guó)神社參拝を放棄しなかったことにある。これに対して、韓國(guó)市民は強(qiáng)い反応を示し、盧大統(tǒng)領(lǐng)も「口先だけの平和?安全?交流では、未來(lái)の平和は保障できない」と主張している。
歴史とは何だろうか。一般の説明によると、歴史とは少なくとも(1)人間が経験してきた過(guò)去の事(2)こうした過(guò)去の事に対する記述と研究――の2つの內(nèi)容がなくてはならない。前者は客観的な存在を指し、後者は歴史観、つまり過(guò)去に対する後代のとらえ方や態(tài)度を含んでいる。過(guò)去の重大な事件に対する人々の態(tài)度は実際上、現(xiàn)在や未來(lái)に対する考え方をも反映している。ナチスによるホロコーストの生存者ウィーゼル氏(ノーベル平和賞受賞者)は、「いかなる人も歴史の網(wǎng)の中から逃げることはできない。逃げたように見(jiàn)えても、最後にはやはり捕まってしまう」と語(yǔ)っている。
この道理は、第2次大戦の災(zāi)厄を経験したアジアや歐州の人民にとっては、非常に理解しやすい。戦後に裁判を受けた戦犯はすでに単なる個(gè)人ではなくなり、殺人者と罪悪の象徴になった。戦犯の名前は、アウシュビッツ強(qiáng)制収容所や南京大虐殺など、この世のものとも思えないほど悲慘な人類(lèi)への罪を象徴している。戦犯に対する戦後の裁判は、個(gè)人の犯罪に対する判決を超え、戦爭(zhēng)の発動(dòng)者や追隨者の霊魂を鞭打ち、平和の種を広める正義の行動(dòng)となった。
歐州では、當(dāng)時(shí)のナチスの武裝親衛(wèi)隊(duì)や戦犯が埋葬された墓地は長(zhǎng)年にわたり、政治家のタブーになっている。たびたび(靖國(guó)神社を)參拝する日本首相のように、あえて、または好んで(戦犯などの墓地へ)訪れるような政治家はいない。一部の墓地では、戦犯の名前を出しただけで政治的な騒動(dòng)につながることすらある。かつてレーガン大統(tǒng)領(lǐng)(當(dāng)時(shí))は冷戦時(shí)、必要に迫られてドイツの戦沒(méi)者墓地を訪れたことがあった。ある記者が同墓地に(ナチスの)武裝親衛(wèi)隊(duì)兵士が埋葬されていると指摘したため、レーガン氏の訪問(wèn)は國(guó)際社會(huì)の強(qiáng)い反対にあった。「墓地騒動(dòng)」については、現(xiàn)在でも多くの人が、政治家としてのレーガン元大統(tǒng)領(lǐng)の経歴の汚點(diǎn)だと考えている。政治家の一挙一動(dòng)には、一般人とは異なる象徴的意味合いがある。だからこそ、アジア諸國(guó)は日本首相が戦犯を祭った神社を參拝することに反対するのだ。
寛大にも限界がある。靖國(guó)神社への參拝は決して、一部の日本人が弁解しているような、簡(jiǎn)単に一般兵士の戦死者への記念と同じに扱えるようなものではない。アジアの人民にとっては、侵略者の罪悪に対する記念だ。これはアジアの人民が過(guò)去のあの歴史をいかに評(píng)価するかに直接関係し、アジアの人民が現(xiàn)在の日本をいかに評(píng)価するかに直接関係する。この問(wèn)題が解決しなければ、日本は自身のイメージ向上は難しく、「戦爭(zhēng)を二度と発動(dòng)しない」という誓いをアジア諸國(guó)が強(qiáng)く信じることはできないだろう。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年6月23日