東京で17日、中國文化部と在日本中國大使館の共催による「中國文化フェスティバル2006」が開幕した。開幕後、王毅駐日大使が文化フェスティバルと中日文化交流について取材に答えた。
――両國の文化交流をどう評(píng)価するか。
中日両國のつきあいはすでに2千年以上の長きにわたるが、そのうち連綿として絶えなかったものが文化交流だ。隋?唐代の300年近くの間、日本は大勢の遣隋使?遣唐使を中國に派遣した。日本が中國文化を?qū)Wび、參考にしたピークは、その頃だ。たとえば高僧の空海は、遣唐使の留學(xué)僧の1人で、後に日本の真言宗の開祖となった。わたしはかつて、日本の西部にある小島、長崎県の福江島を訪れたことがある??蘸4髱煠瑢W(xué)問を成就して帰國し、再び日本の土を踏んだ場所だ。後人が空海のために建立した寺には、空海大師自らの手による石碑があり、「虛往実帰」(きょおうじっき)の4文字が刻まれていた。この4文字は空海大師の本當(dāng)の心境を物語るだけでなく、當(dāng)時(shí)の中日交流の生き生きとした描寫でもある。
近代以降、日本は率先して門戸を開いた。中國も日本という場の助けを借りて、當(dāng)時(shí)の世界先進(jìn)の科學(xué)技術(shù)および文學(xué)蕓術(shù)を?qū)Wび、吸収した。中日國交正?;帷I國の文化交流はたゆまず発展を続けてきた。その範(fàn)囲は広く、規(guī)模は大きく、數(shù)量は多い。中國と他國の交流のなかでも、めずらしいものだ。
「人民網(wǎng)日本語版」2006年11月22日